欧米の影響力低下の宗教的要因

連載・宗教で読み解く世界情勢(75)
宗教問題アナリスト・小笠原員利

 先回、ロシア正教のキリル総主教による、プーチン大統領擁護の姿勢を批判的に取り上げた。キリル氏はロシアによるウクライナ侵攻を、物質主義、道徳的相対主義、同性愛の促進など退廃的な西洋文明に対する「形而上学的闘争」の一部として位置付けている。侵略戦争の正当化に宗教的な論理を「悪用」することは、ISやアルカイダなどイスラム過激主義者のテロと同様、宗教そのものの価値を貶めることにつながってしまう。キリル氏の言説は、ロシア正教のみならず、同性愛や中絶に反対する保守的キリスト教一般のイメージ低下をもたらしかねない。
 ただし、彼がこのような論理を振りかざす背景については、もう少し、深い考察が必要だろう。ロシアの立場を正当化する際に「西洋の堕落」が利用されるのは、それが非常に有効だと考えられているからだ。実際に、性道徳が乱れ、家庭が崩壊する欧米諸国のあり方を懐疑的に見る国は少なくない。
 例えば、2015年に開かれたカトリックの世界司教会議(シノド)では、中絶や同性婚の問題をめぐって、西欧などのリベラルな聖職者と、アフリカや東欧、米国の一部の保守派との間で激しい論争が展開された。中でも参加者の2割を占めるアフリカの聖職者たちが発した欧米リベラル派に対する怒りはすさまじく、ギニアのロバート・サラ枢機卿は「西洋の同性愛と妊娠中絶イデオロギー」を「イスラム熱狂主義」「20世紀のナチのファシズムと共産主義」と同列に並べて批判した。彼らが必ずしもプーチン氏を擁護しないとしても、キリル氏の主張にシンパシーを感じる側面があることは否めないだろう。
 シノドでアフリカの聖職者が強気に出たことには、彼らなりの根拠がある。道徳的に「堕落」した西洋カトリック教会が信徒を減らし続けているのに対して、伝統的な教義にこだわるアフリカ教会は飛躍的な発展を遂げているからだ。彼らは、「今日のヨーロッパ人はアフリカ教会に従うべきであり、その逆ではない」と主張した。
 同様の対立は、合同メソジスト教会(UMC)が2019年に開いた特別総会でも見られた。最終的に483票対384票で保守派が勝利をおさめ、同性婚を認めない方針が堅持されたが、そこで大きな役割を果たしたのもアフリカからの代表団だった。当時、UMCの信者総数は1300万人弱。トップの米国(680万人)に続くのがアフリカ(575万人)であり、しかも両者の差は急速に縮まっていた。UMCの次の総会は2024年に予定されているが、既に同性婚を容認するリベラル派教会の離脱が始まっており、教派分裂の危機が高まっている。
 性や結婚に関する教義をめぐって欧米とアフリカの対立構図が先鋭化するキリスト教にあって、アフリカ勢と連携しているのが、旧ソ連の影響下にあった東欧諸国である。例えば、同性婚はおろか、同性愛自体が社会で受け入れられるべきではない、と答える割合は、ポーランド(47%)、ハンガリー(54%)で半数を占めており、ルーマニア(85%)、ウクライナ(86%)に至っては8割を超える。こうした状況が、キリル氏の説教に反映していることは間違いないだろう。
 少なくとも、アフリカ、東欧諸国、さらには家族的な文化が色濃く残るアジア諸国にとって、欧米は既に道徳的な模範ではなくなっている。欧米先進諸国が唱える民主主義、基本的人権、法の支配などの普遍的価値は支持しても、行き過ぎた権利主張や、価値観の混乱状況については冷ややかな視線を向けているのが実情なのだ。
 ちなみに、4月7日の国連総会緊急特別会合で、人権理事会におけるロシアの理事国資格停止が決議された際、賛成は全加盟国の半数を切る93か国にとどまった。投票した国の中では多数派であったため、決議案自体は可決されたが、反対24、棄権58、無投票18を合わせるとロシアに一定の配慮をした国は100か国に上る。それらの多くはアジア、アフリカ諸国であり、ケニア、南アフリカ、ウガンダ、ナイジェリアなど、キリスト教の盛んな国々も含まれる。
 もちろん、それらの国々が曖昧な態度を取っている主な要因はロシアおよび中国との経済、政治、軍事的なつながりだが、宗教的な側面を含む、西側先進諸国の道徳的な感化力低下も少なからず影響しているだろう。言うまでもなく性的な頽廃や婚姻の不安定化は西側諸国の少子化や国力低下ももたらしている。キリル氏の主張は非難されるべきであり、ロシアも実際には離婚大国なのだが、その指摘は西洋文明の弱点を痛烈についている。
(5月10日付 787号)