日本文化を形成した神仏習合

2022年4月10日付 786号

 政治的危機の背景には経済的危機があり、その背景には文化的危機がある。常識的理解を超えたロシアのウクライナ侵攻も、プーチンと彼を支えるロシア人の文化的・宗教的特質に迫らないと理解できない。
 他者理解は自己理解の合わせ鏡であり、世界をより正確に理解するには、日本への理解を深める必要がある。文化史、宗教史から見て、その中核になるのが神仏習合であろう。よって本紙では、「神仏習合の日本宗教史」の連載を始め、それにかかわる宗教・文化現象を探究していきたい。

開かれた系での習合
 戦後、経済的豊かさを求め、科学を信奉する日本人の精神的荒廃を嘆いた鈴木大拙は、『妙好人』(法蔵館)で日本仏教について次のように述べている。
 「インドでは、佛教は余りに抽象的思索の面に走りすぎて亡びた。幸い漢民族の間に拡がって来て、唐宋時代に禅となった。それがついには文学的表現に憂身をやつすようになった。それが却って佛教的体験の本質的なるものを失脚させた。日本に渡った佛教は、始めは抽象的領域を出なかったが、鎌倉時代になって純粋に日本的となった。インドの佛教でもなければ、中国の佛教でもない。ことにそれが浄土真宗になるに至って、日本的なるものを大いに発揮させた。…日本的になって、実に世界性をもつようになった」
 同様のことを、中世史が専門の義江彰夫東大名誉教授は『神仏習合』(岩波新書)で次のように述べている。
 「インドにおいて仏教と、基層信仰から普遍宗教までを集大成したヒンドゥー教との関係は、一貫して仏教がヒンドゥー教に歩み寄り、妥協する歴史であり、ついには仏教そのものがヒンドゥー教にのみ込まれてゆく…。中国において仏教が解決しなければならなかったのは、国教となった世俗宗教儒教と、その対極で人々の心をとらえた道教との関係を、それぞれ構築することであった。…仏教と儒・道を同次元で混ぜ合わせるという点で、脱世俗を核心とする仏教が少なくとも社会的には浸透しえなかった…。朝鮮では、中国以上に儒教が国教として重視されたが、三国鼎立、中国の圧迫という国際的圧力が、共同体からの個の自覚をはやめ、仏教の摂取と基層信仰の結合を促進したとみられる。が、同時に仏教と基層信仰の結合を、…仏教のもとに編成させる道を選んだ…。
 とすれば、日本の神仏習合は普遍宗教と基層信仰が完全に開かれた系で繋がっているという点で、世界的にみても、独特な宗教構造をつくり出した…」
 異教の神と神話を否定するキリスト教では、ゲルマン・ケルト信仰の神々はキリスト教に取り込まれ、アウグスチヌスが大成した三位一体論により、ゲルマン的神霊はキリスト教の精霊として吸収されてしまう。
 アニミズム的な原始信仰の時代では、世界の各民族の宗教は共通する部分が多かったであろうが、普遍宗教との融合を経、さらに国の形成、経済的な対立を重ねるうちに、敵対的な宗教・思想に発展したのである。
 養老孟司風に言えば、肥大しすぎた脳が起こすのが宗教・思想の対立であり、そうなった近現代社会を修正するには、現代人が身体性を回復する必要がある。欧米ではバイデン米大統領の発言のように、プーチンを絶対悪と見る傾向が強いが、それは一神教の特性であり、米国はロシアを滅ぼそうとしていると思い込んでいるプーチンの宗教性と同類である。
 しかし、民主主義対権威主義の対立構造では、戦争は収束しない。世界的な危機に対して日本ができることは、米国よりも深刻度の高いヨーロッパ各国や、民主主義がそれほど成熟していない国々とも連携し、被害の最小化を図ることだろう。

危機の時代の先に
 仏教学者で朝鮮仏教に造詣の深かった鎌田茂雄東大教授の持論は、インド・中国・朝鮮の仏教と比較研究しないと日本仏教は分からない、だった。
 自然宗教的な基層信仰の上に、普遍宗教である仏教を受容し、国家形成の思想として活用しながら、様々な神仏習合の形を生み出してきた日本文化の特性を再発見することが、危機の時代を乗り越える一助となるに違いない。