自由社会の優位性は保たれるか(上)

宗教で読み解く世界情勢(70)
宗教問題アナリスト 小笠原員利

 中国で「家庭教育促進法」が制定された。中国社会では現在、受験戦争による過度な学習負担や、オンラインゲームなど有害環境から子供の健全な発達を守ることが重要な課題となっている。学習塾の非営利化や、オンラインゲーム時間の規制など様々な法整備が進められる中、今回は、子供の教育に最も身近で関わる親の責任を明確化し、しつけや社会主義思想の徹底など家庭教育の充実を求めた形である。
 実は、似たような名前の法律は日本でも検討されてきた。自民党などが議員立法として準備してきた「家庭教育支援法」である。第一次安倍政権において教育基本法が改正された際、それまで社会教育の中に含まれていた家庭教育が独立した項目(第十条)となり、子の教育の「第一義的責任」が「父母その他の保護者」にあることが明記された。さらに第二項では、国や自治体にも努力義務として「家庭教育を支援するために必要な施策を講ずる」ことが要請されている。この法改正を受けて、熊本県など各地で家庭教育支援条例が成立・施行。国次元での法整備が待たれている状況だ。
 実際に資本主義による経済発展は、先進諸国を中心に伝統的な地縁・血縁の共同体を衰退させ、世代間のつながりの希薄化が子育て家庭の孤立を招いている。少子化で、弟、妹など幼い子供を世話した経験がないまま親になる若者も増え、離婚の増加による配偶者不在や、スマホの普及など子供が有害環境に接しやすい状況も相まって、子供の養育環境の劣悪化が深刻である。子育ての孤立、密室化は、虐待の増加も招いており、家庭教育支援は世界共通の課題となっている。共産主義国家でありながら自由主義市場経済を採用し、西側諸国と同様の社会変動を経験している中国も例外ではない。
 ただし、中国の法律と、日本で準備されている法律の間には、根本的な違いが存在する。中国の「促進法」が党や社会主義に対する忠誠心の涵養を要求(16条)し、住民委員会や公安機関による警告、命令権限を明記(48、49条)するなど、法律による強制、当局による指導、監視といった統制的側面を強くにじませているのに対して、日本の「支援法・条例」は、あくまでも個々の家庭の自主性を尊重し、国、自治体による関与は、どこまでも「支援」というスタンスにとどまることだ。
 実際に日本各地で条例に基づいて実施されている保護者対象の学習企画を見ても、親同士が子育ての悩みを語り合いながら、自ら気づきを持ち帰るような参加型・対話型のプログラムが主流となっている。各地の条例制定時に、主に野党勢力から危惧された「行政による介入、統制、監視」というイメージとはまったく真逆の取り組みだ。
 この違いは当然のことながら、一党独裁の共産主義国家と、自由を尊重する民主主義国家という思想・体制の違いから生じている。
 ことは子供の教育に関わる施策にとどまらない。格差解消についても、中国は「共同富裕」の名のもとに民間大手企業の締め付けを強化。富裕層に対しては、半ば強制的に「寄付」を通じた社会還元を要求している。あらゆることが強大な権限を持った党による監督、指導のもとに推進され、従わない場合には制裁、懲罰が待っている。
 一方で、西側諸国においても富の集中と格差拡大は課題となっているが、行政にできることは税制や福祉政策による対応に限られ、富の社会的還元については大企業、富裕層の自主的な行動を促すにとどまる。
 最も顕著に表れたのは新型コロナ対策だろう。中国政府が強権的に国民の行動を統制し、一気に感染拡大を封じ込めたのに対して、日本は「緊急事態宣言」というものものしい表現とは裏腹に、行政は「お願い」ベースの要請が精いっぱいで、最終的に行動制限や活動の自粛は個人、企業の自主的な判断に委ねられた。
 問題は、個人の自主性に頼る民主主義的な体制における対応が後手に回りがちで、ともすれば、統制しやすい一党独裁体制のほうが危機対応や社会変革において優位なのではないかという見方が出始めていることだ。
 かつては自明であった自由主義社会の優位性が揺らいでいるのは間違いない。それでも自由、民主主義が一党独裁の全体主義よりも優れていることを示すためには、結果と実績が必要だ。広範な自由を与えられた個人や団体が、いかに自主的に、公益に沿った倫理的行動をとることができるか。自由や民主主義の未来を左右するのは、きわめて宗教的、実存的な課題なのである。
(2021年11月10日付 781号)

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