次のダライ・ラマを決めるのは誰か

連載・宗教で読み解く世界情勢(67)
宗教問題アナリスト 小笠原員利

 今年のG7サミットでは中国の人権問題への懸念が示され、台湾海峡についても言及がなされた。これまで中国が掲げる「一つの中国」政策に配慮し、台湾問題への直接の言及を避けてきたG7としては非常に異例なことだ。それだけ中国への脅威認識は高まっている。
 新疆ウイグル、内モンゴル、香港と並び、共産党一党独裁の犠牲となっている地域がチベットだ。政教一致の独立国家としての歴史的伝統を誇るチベットは、1949年、中国人民解放軍の軍事的圧力のもと、チベット政府を中国の一地方政府に貶める「十七か条協定」の締結によってその主権を奪われた。チベット仏教の最上位にあり、チベットの元首、政府の長でもあったダライ・ラマ14世は1959年以降、インドに入り亡命生活を続けている。彼は2011年に政治指導者の地位を引退し、現在は「チベットとチベット人の守護者にして象徴」と位置付けられている。
 米中対立が激化し、中国内の人権問題に対する国際的な関心も高まりを見せる中、米国やインドはダライ・ラマ支援を鮮明にし始めている。特にインドは、中国との間に未解決の国境問題を抱えており、昨年6月には双方に死者を出す衝突事件も起きた。今年8月6日、一部国境から両軍が撤退したことで、決定的対立を避けたい意志は垣間見えるものの、人口規模で世界1、2位を争う両国のつばぜり合いは今後も継続するだろう。
 中国との駆け引きにおいて、インドが持つ有力カードの一つがまさにダライ・ラマである。チベット人民が慕い、国際的にも尊敬と注目を集めるダライ・ラマの存在は、中国の強権的性格を際立たせるとともに、亡命政府を受け入れるインドの寛容性を示すことにもつながるからだ。
 モディ首相は、今年7月6日、ダライ・ラマの誕生日に祝福のメッセージを寄せ、さらには電話で直接会話したことも公表した。明らかに中国を意識した動きである。
 一方で中国は、習主席が7月21、22日、電撃的にチベットを訪問、視察。国家主席就任後で初めてだ。様々な憶測が飛び交うが、インドとの国境問題を見据えて、後背地であるチベットの引き締めを図ったとの見方が有力である。
 ちなみにダライ・ラマは強硬な独立論者ではなく、より高度な自治を求めているにすぎないが、中国共産党は彼を「分離主義者」と呼び、その影響力を恐れて一時的な帰還すら許そうとはしない。チベット支配の正当性に、共産党自身が確信を抱けていないことの表れだ。
 さて、86歳の高齢に達するダライ・ラマをめぐって注目されているのが、その後継問題である。ダライ・ラマは死後、生まれ変わるとされる。その「生まれ変わり」を認定するのは誰なのか? 中国共産党はあくまでも、彼らが認定する人物を次のダライ・ラマに据えるつもりだが、ダライ・ラマは、「(チベットではなく)自由世界に生まれるだろう」と語るなど、中国側をけん制している。
 『ガーディアン』のレポートによると、中国は10年ほど前から、次のダライ・ラマの選定に向けて着々と準備を進めてきている。チベット内の僧侶たちを個別に北京への無料旅行に招待し、中国政府が認定する次のダライ・ラマを認めるなら、彼らを迫害しないと保証する懐柔策をとっているという。今年1月には秘密裏に25人の政府高官が招集され、選択プロセスの準備を開始したとの情報もある。
 もちろん、ダライ・ラマは宗教・政治両面の権威であり、歴史的にも政治や外交の道具としてその地位が翻弄されてきた。しかし、宗教的な権威を政治的思惑によって選択的に置き換えようとする試みは、やはり冒涜的だと言わざるを得ない。1995年には、ダライ・ラマによってチベット仏教第二の権威パンチェン・ラマの生まれ変わりと認定された少年が中国政府によって拘束され、行方不明となる事件も起きた。
 中国共産党は無神論、反宗教のマルクスの直系であり、宗教の教義や人々の信仰心に対する敬意と畏れを決定的に欠いている。一方、自由民主主義世界で最も重要な価値の一つは、思想・信条の自由であり、人々の心の内を最大限に保護し、尊重することだ。
 香港の民主活動家たちの口を塞ぎ、ダライ・ラマという、人々の篤い信仰の対象までも意のままに管理しようとする中国共産党の振る舞いが容認されるとすれば、世界の未来は暗いと言わざるを得ない。この国が今のままでアジアの覇権を握るなら、それはこの地域におけるあらゆる宗教的伝統の実質的な死を意味することになるだろう。
(2021年8月10日付 778号)