「愚かなる神」

2021年3月10日付 773号

 「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(Ⅰコリント 1・22─25)
 復活祭までの準備の期間、キリスト者は主の御業を静かに思い起こす。
 かつて、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、十字架で処刑された一人の指導者をメシヤとして仰ぎ見るのは愚かなことと受け止められた。彼の純粋な愛から発せられることばや行いは人々に驚きを与えた。にもかかわらず誹謗中傷の的にされ抹殺された。そこに人間の愚かさがある。自らの姿を直視することへの恐れ、創造主の純金の輝きを目の当たりにすることへの怖れがある。
 人々がどれだけの恐怖を抱こうとも、愚かなる神は、いつまでもどこまでも、人類を愛で抱こうとして我々に働きかけ、語りかけてくる。

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