防府天満宮で牛替神事/山口県防府市

生きた神牛が当たる

番号コマを刺しとる抽選児童

 暦のずれにより、今年の節分は124年ぶりに2月2日で3日が立春。山口県防府市にある菅原道真公を祀る防府天満宮(鈴木宏明宮司)では2日の開運招福豆まきに続き3日、全国でも珍しい生きた牛が当たる「牛替(うしかえ)神事」が行われた。
 牛替とは、その年に天神さま(道真公)が乗る御網代輿(おあじろこし)を引く牛の取り替えのこと。今年で110回という伝統ある神事で、抽選により11月に行われる御神幸祭の「神牛」が当たり、ほかにも、金・銀・銅の牛の置物をはじめ数千点の豪華な景品が福運者に授けられる。コロナ禍で例年より少ないが、福運を願う参拝者が集まった。
 防府天満宮の御神幸祭は、大宰府から防府に遷り留まった道真公の御霊に、毎年「無実の知らせ」を伝え、慰めるため、御霊を乗せた御網代輿を、ゆかりの港「勝間の浦」まで渡御する祭り。当選者は輿を引く神牛の手綱を取る「神牛役」を務め、それまで牛は農家に預け、育てられる。例年はオス・メスの2頭だが、今年は生後8か月のオス1頭。
 3日5時すぎから拝殿で牛替神事抽選児童奉告祭があり、古式ゆかしい装束に身を包んだ抽選児童13人とその保護者、池田豊防府市長に同宮関係者らが参列した。児童は防府市内の小学校から選ばれた6年生の男子。浄め祓いを受け、玉ぐしをささげて参拝した児童らに金子宮司は「皆さんの参加を道真公もお喜びであろう。6年生はコロナ禍で学校が休校になり、友達と一緒に勉強したり、遊んだりできない日が多く、大変だったと思う。コロナ終息も祈りつつ牛替神事抽選会を執り行いたい」と挨拶。真剣な面持ちの児童らに、弓とやりの抽選道具が授与された。
 6時すぎから抽選。拝殿前の回廊に設けられた台の上に、番号コマを入れる梅型の大きな木箱が置かれている。最初に、拝殿廊下に置かれた「いろはに…」が書かれた回転盤に児童が弓を射て組を決め、次いで別の児童がやりで番号コマを刺し取り、当選番号が決まる。その場で読み上げられた番号は同宮ホームページなどで発表された。牛替券は協賛している防府市内の商店などで購入でき、2月2〜3日に天満宮で番号券と引き換える。
 菅原道真を祀る天神さま(天満宮)は約1万2000社あるが、道真が大宰府で亡くなった翌年に創建された防府天満宮は「日本初の天神さま」で、北野天満宮、太宰府天満宮と共に「日本三大天神」とされている。
 菅原氏の前身は野見宿禰を家祖とする土師氏(はじし)で、大和国菅原邑に住んでいたことから菅原姓を名乗ることに。ちなみに大江氏は、桓武天皇が縁戚の土師諸上(もろがみ)らに大枝の姓を与えたのが始まり。
 同宮の社伝によると、左遷された道真は大宰府に向かう途中、周防国(山口県)国司だった同族の土師信貞を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に着き、しばし休息した。そして「ここは天皇のおられる京の都と地続きで、願わくはこの地に住まいを構えたい」と言い残し、九州に旅立ったという。「防府」の名称は周防の国府による。
 延喜3年(903)2月25日、道真が大宰府で薨去した日、勝間の浦に光が射し、酒垂山(さかたりやま)に紫色の瑞雲がたなびくのを見た国司は、道真の御霊がこの地に帰ってきたと思い、翌年、酒垂山に祠を建立し「松崎の社」と号した。これが防府天満宮の創建とされ、以後は代々の国司が祭事を行ったという。