世界に通じる「祈り」発信を

2020年12月10日付 770号

 熊本県天草市の天草コレジヨ館にはコレジオ(神学校)の備品、天正少年使節団が持ち帰ったグーテンベルク印刷機の複製や南蛮船模型、西洋古楽器など南蛮文化の資料が多数展示されている。同印刷機で印刷された「天草本」は日本初の活版印刷で、目を引かれたのは『平家物語』と『太平記』である。イエズス会はなぜそんな本を出版したのか。
 いずれもダイジェスト版で、コレジオやセミナリオでの教育に使われていた。つまり、無垢な少年たちに日本とは何かを、両書を使い教えていたのである。というのは当時、両書が支配層の知識人に普及し、身につけるべき教養とされていたからである。
 
『太平記』の力
 戦前を代表する東洋学者の内藤湖南が「今日の日本を知るには、古代を研究する必要はほとんどなく、応仁の乱以後の歴史を知っていればそれでいい。それ以前は外国の歴史と同じくらいにしか感じられないが、応仁の乱以後は、我々の骨肉に直接触れた歴史である」と言ったのはよく知られている。応仁の乱は1467年から10年、『太平記』はその100年前、後醍醐天皇による建武の新政から五十余年にわたり南北朝、公武の抗争を描いている。
 中世の日本社会は、権威に加え政治的、経済的な力のある公家権門(執政)、宗教権門(護持)、武家権門(守護)から成る権門体制としたのは歴史学者の黒田俊雄で、織田信長の比叡山焼き討ちは宗教権門に挑戦したもの。リアリズムを旨とする武家が主導権を握るのは、徳川家康の宗教政策と禁中並公家諸法度の制定からである。江戸270年の平和と充実が明治の礎になったことは異論がない。鈴木正三や石田梅岩などにより、日本的資本主義の倫理も根づいた。
 日本の仏教史を学んで思うのは、大衆に受容されてこそ宗教も発展すること。優れた宗祖がいたにもかかわらず、その不足で消え去った教えも数多いに違いない。その意味で、『平家物語』と『太平記』が広く語り継がれ、読み継がれたのは注目に値する。『太平記』を読むと、『平家物語』の知識がないと理解できないくだりもあり、半ば常識化していたのである。当時の人々は、両書を通して国とは、日本とは何かを学び、議論し、それぞれの統治や業務に反映させたのである。つまり、日本の骨格がつくられた。
 やがて幕末になると、『太平記』の記憶が国学の勃興に一役買い、この国が天皇の国だったことを想起させ、時代の流れを討幕・維新へと向かわせる。中世からの蓄積が明治の近代国民国家形成を成功させたと言えよう。世界の発展途上国で、欧米先進国をモデルにした近代国家づくりに成功した例は稀である。
 ここで近隣両国に触れるのは本意でないが、両国民に共通しているのは国家・政府に対する信頼の低さで、頼れるのは血縁だけであることからいわゆる種族主義に、政権は権威主義になりがちだ。その近現代史に、日本の対外政策が関与しているので控えめになるが、国の歴史は国民が書かなければならず、同じ出来事でも、被害と書くか、試練と書くかで、その意味は大きく異なってくる。日本人にとって幸いだったのは、父祖たちが「この国のために死んでもいい」という国をつくってくれたことである。

通じ合う心
 コロナ禍で辛いのは、助け合いたい人たちとも距離をとらないといけないことである。しかし、リモートでの交流を重ねながら、真意を通わせるのに、必ずしも実体は必要ないと思うようになった。もっと大事なのは言葉、文章であり、その背後にある思い、さらに祈りである。
 全国の社寺では鎮めの祈願祭などが営まれているが、一人ひとりの思いにもそれがある。その意味で今は、祈りの力が試されている時なのではないか。深い祈りにより、私たちは時空を超え、多くの人たちと心を共有することができる。本来、人や万物はそのようにつくられていたのではないかとさえ感じられる。心の深みで互いに通じ合う、同じ宇宙に住んでいるのである。
 神道を基礎に発展した日本仏教が山川草木悉皆成仏を世界に発信したように、今の日本には世界に通じる祈りを発信する役割があるように思えてならない。

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