国際神道セミナー「神々と伝染病」

疫病から人々を守ってきた宗教/神道国際学会

海外からもオンラインでコメント

 特定非営利活動法人神道国際学会の主催で、第24回国際神道セミナー「神々と伝染病」が9月13日、京都駅前のキャンパスプラザ京都で開催された。新型コロナウイルスの感染を防ぐため直接の参加者は限定されたが、内外からコメンテーターはじめ多くの人たちがインターネットを通して参加。これまでの日常が崩壊し、ウィズコロナの新しい生活様式が提唱される中、神道が疫病や人々の生活態度、モラルにどうかかわってきたのか、宗教家や研究者が発表し討議が行われた。
 アレキサンダー・ベネット同学会理事の開会挨拶に続いて、八坂神社禰宜の野村明義師が「祇園祭の本質」と題し、次のように講演した。モデレータは同学会理事長の三宅善信・金光教春日丘教会長。
 八坂神社の祭礼である祇園祭はかつては祇園御霊会と言われ、貞観11年(869)に都をはじめ各地で疫病が流行したとき、平安京の神泉苑に当時の国の数にちなんで66本の矛を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことが始まり。
 当社御祭神の素戔嗚尊は南海に旅をした折、一夜の宿を提供しもてなした蘇民将来を喜び、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は疫病を免れると約束したとの故事にちなみ、祇園祭ではその護符を身につけて奉仕する。医学が未発達の古代、どのようにして疫病を防ごうとしたのか。
 昨年は祇園祭が始まって1150年の節目の年で盛大に行われたが、今年はコロナ禍で簡略化された。祭で疫病が鎮まったので祇園信仰が全国に広まり、山鉾巡行がユネスコの無形文化遺産に登録された。
 祭のハイライトは神輿が出る前の露払いの山鉾巡行で、祇園囃子で疫神を集めてそれぞれの山鉾町に連れ帰り、蔵に閉じ込めると一般的に解釈されている。
 しかし、時代の変遷で祇園祭の本来の意味が分からなくなった。その原因は、①平安京が見えない結界都市から見える結界都市になった、②応仁の乱による山鉾の消失と祭の中断、③明治の神仏分離による祭神・社名・祭礼名の変更、④廃仏毀釈による祇園(疫神・龍神・暦神・蘇民)信仰の封印、⑤「龍穴」信仰の封印、⑥改暦による水無月満月祭祀の封印、⑦交通・観光優先による祭祀の変貌である。
 祇園祭の7大祭祀は、①牛頭天王による疫神祭祀、②社殿下の龍穴(井戸)が平安京の水脈を浄化する龍穴祭祀、③御旅所祭祀、④旧暦6月の水無月祭祀、⑤月光で水を浄化する満月祭祀、⑥山と鉾で都の風水を整える風水祭祀、⑦稚児が神の依り代になって疫病を退治する稚児祭祀である。つまり、古代の先端技術である陰陽道による、疫病封じの水と空気の浄化の祭祀だった。ところが、明治3年の「天社禁止令」で陰陽道が廃止されたため、以後、その意味が失われた。
 水と大気の汚染は世界的な問題で、コロナ禍はそれをもたらした経済に警鐘を鳴らすもの。祇園祭の意味は世界の平和にもつながる。
 次いで、大阪大学言語文化研究科講師の永原順子氏が「水の中の異界〜祭儀・風習にこめられた人々の祈り〜」を、東京工業大学教授の弓山達也氏が100年前のスペイン風邪と比較しながら「国難と信仰〜宗教が宗教であるために〜」を発表し、学会理事のファビオ・ランベッリ氏が米国から、常任理事の塩屋崇之・秩父今宮神社宮司がオンラインでコメントした。
 パネルディスカッションでは、コロナ禍で浮き上がってきた今日の宗教・教団の課題、見えない異界や死後の世界に対する理解などについて活発な討議が交わされ、学会常任理事の芳村正徳・教派神道連合会理事長・神習教教主の挨拶で閉会した。