米中対立、ローマ教皇庁の立場は?

連載・宗教で読み解く世界情勢(58)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 米国大統領選挙まで1か月足らず。コロナに感染したトランプ大統領が選挙運動の中断を余儀なくされるなど事態は予断を許さない。中国の覇権拡大が世界的課題となる中、米国の混乱は大きな懸念材料だ。一方で、米中対立の帰趨を占う上で無視できないのがバチカン、すなわちローマ教皇庁である。
 冷戦末期には、米国と並んでローマ教皇庁が非常に大きな役割を果たした。当時の教皇ヨハネ・パウロ2世は、共産党治下にあったポーランドの出身であり、筋金入りの反共の闘士だった。東欧の解放は彼の強力なリーダーシップ抜きには語れない。では、現代の「新冷戦」において、フランシスコ教皇率いるカトリック教会はどのような立場を取るだろうか。
 習近平主席の就任以降、中国共産党による宗教弾圧や人権侵害は苛烈さを増し、旧ソ連や東欧諸国に勝るとも劣らない状況だ。新疆ウイグルから伝えられるムスリムの強制改宗や断種・中絶の強要は、「民族浄化」の悪夢を想起させる。米・国際宗教の自由委員会は、法輪功メンバーに対する強制臓器摘出を繰り返し指摘。ダライ・ラマは数十年にわたってチベットへの帰還を許されず、同じチベット仏教を奉じる内モンゴル自治区では、モンゴル語教育を廃止する同化政策が推進されている。近年まで西側諸国と同等の自由を享受していた香港市民の苦境も周知のとおりだ。
 米トランプ政権は、6月に大統領が宗教の自由を促進する行政命令に署名するなど、宗教弾圧に対して断固たる姿勢を取っており、中国の人権状況についても激しく非難し、各国の連帯を呼び掛けている。その先頭に立つのがマイク・ポンペオ国務長官だ。そのポンペオ氏がバチカン市国を訪問した。米中対立が先鋭化する状況下で、教皇庁がどのようなスタンスで彼を迎えるか、世界中の注目が集まった。
 結果的にはフランシスコ教皇自身は米国が大統領選挙中であることを理由に面会を断り、代理としてナンバー2のピエトロ・パロリン枢機卿(国務長官)とポール・ギャラガー大司教(外務大臣)が、10月1日にポンペオ氏と45分間の会談を行った。この対応には、教皇庁と米政府との微妙な距離感が現れている。
 実はポンペオ氏は2年前に教皇庁が中国政府と結んだ司教任命に関する暫定合意を繰り返し批判しており、バチカン訪問を目前に控えた9月18日には、米国の宗教系メディア「ファースト・シングス」に寄稿。東西冷戦時のように、中国政府による人権弾圧に対して、教皇庁が声を挙げるよう強く要請していた。
 中国に対する教皇庁の立場は複雑だ。フランシスコ教皇は、無神論である共産主義に対しては反対の立場だが、中国国内に多くのカトリック信者を抱える立場から、中国政府との関係を良好に保ちたいと考えている。その努力の一つが2年前の暫定合意だ。
 それまで中国国内には、教皇が任命した司教と、教皇とは独立した形で中国政府が任命した司教が並立していた。それを中国側が指名した司教を教皇が任命するという形で、形式上、全ての司教がローマ教皇のもとにある状況をつくったのである。
 教皇庁はこの合意によって、全てのカトリック信者がローマ教皇を頂点とするヒエラルキー(階層組織)のもとで、司牧的な恩恵が受けられると弁明した。しかし、この合意については当初から深刻な懸念が存在した。中国政府が任命した司教に対して、罪の告白など、非常にプライベートでセンシティブな情報を信者が打ち明けられるのかという問題だ。
 中国共産党は、すべての宗教を党の指導下に置く。ローマ教皇が任命した司教も例外ではない。司教に打ち明けられた個人情報が、党によって悪用されない保証はない。そのような教会に、信徒は自らの霊的生命を託せるだろうか。ポンペオ氏との会談で、パロリン枢機卿は合意をあくまで暫定的なものだと強調し、米国の理解を求めた。
 教皇の苦悩は想像に難くない。中国に対する強硬姿勢を取れば、中国のカトリック信者を生命の危機に晒すだろう。一方で妥協的な態度をとれば、宗教弾圧の片棒を担いだという歴史的汚点を残すことになる。さらにいえば教皇庁内部にも、中国の工作活動が及んでいるとの指摘もある。
 もちろん、これはカトリック教会だけの問題ではない。プロテスタントの地下教会やイスラム、チベット仏教にいたるまで、あらゆる宗教も同様の懸念のもとにある。人々の信仰や良心を踏みにじる独裁体制に対して世界の宗教界はどんな声を挙げるべきだろうか?
(2020年10月10日付 768号)