「五範疇」の長所と短所

カイロで考えたイスラム(29)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 イスラム教では人間の行為を5つの範疇に分類し、それぞれ賞罰を科している。①義務行為(礼拝や断食、夫婦の扶養と服従など)②推奨行為(自発的喜捨、奴隷解放、結婚など)③許容行為(行っても行わなくてもよい日常生活の大部分の行為。売買や飲食など)④忌避行為(離婚、避妊、中絶など)⑤禁止行為(殺人、偶像崇拝、棄教、飲酒など)
 イスラム教が人間の行為を、義務と推奨、許容、忌避、禁止の5つに分類し、信徒らが日常の行動でとるべき態度を示しているのは、行動の目安となるので長所といえよう。罰則があるのは義務と禁止行為のみで、推奨や忌避、許容行為には罰則がないことも、イスラム教のおおらかさや懐の深さ、救いの広さを示している。
 ただ、人間の基本的人権や信教の自由など、現代的な価値観からはかなり違和感を感じる。第一に、礼拝や断食などの行為を義務と定めて罰則を課し、偶像崇拝や棄教などを禁止して罰則を科していることだ。イスラム教の最大の短所の一つは、基本的に信教の自由を認めないことにある。改宗の自由も棄教の自由もなく、子供たちは自分で宗教を選ぶことも許されないのだ。
 信教の自由が保障されている国の国民は、親の宗教にかかわらず、自分で宗教を選択できる自由をもっている。一般的に、両親の信仰を受け継ぐことが多いが、子供が自分で別の宗教を選ぶのは自由である。宗教は親が決めるのではなく自分が選択するもので、棄教や改宗の自由も保障されている。
 ところが、イスラム国家では「改宗は死」で、断じて許されない。コーランの物語章88節には「アッラーと一緒に、他のどんな神にも祈ってはならない。彼の外には神はないのである」とあり、イムラーン家章85節には「イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である」とあり、明証章6節「啓典の民の中(真理を)拒否した者も、多神教徒も、地獄の火に(投げ込まれ)て、その中に永遠に住む。衆生の中、最悪の者である」と規定し、改宗は死を招くとの脅しが徹底している。
 過激派組織「イスラム国(IS)」は実際、異教徒に「改宗か、死か!」と迫り、改宗しない者は殺害している。ナイジェリアのイスラム過激派組織「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪の意)」もイスラム教徒かどうかを見極め、イスラム教徒は生かすが、それ以外は殺害している。2016年7月にバングラデシュで起こしたテロでも、ISの戦闘員は、コーランの一節を暗唱出来なかった、日本人7人を含む多数の人たちを殺害した。
 偶像崇拝にも厳しい裁きが待っている。偶像崇拝禁止の神の命令の初出としてよく例示されるのは、旧約聖書の出エジプト記20章4〜5節だ。イスラエルの神が預言者モーゼに命じた、「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない」である。20章3節では「あなたは私の他に、何ものをも神としてはならない」とあり、これは唯一神を強調するものだ。アブラハムの宗教と呼ばれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教では偶像崇拝は禁忌で、神を可視化してはならない。
 イスラム教は偶像崇拝の禁止を徹底させている。神の可視化は無論のこと、ムハンマドや聖者と称されるイスラム指導者の像を造ったり描いたりすることも禁じ、世界遺産に登録されているような貴重な遺物や彫刻類も、偶像だとして破壊する。イスラム法を厳格に適用する宗派や集団ほど極端だ。
 コーランの明証章6節では、「啓典の民の中(真理を)拒否した者も、多神教徒も、地獄の火に(投げ込まれ)て、その中に永遠に住む。衆生の中最悪の者である」とあり、悔悟章5節には、「聖月が過ぎたならば、多神教徒を見つけ次第殺し、これを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略を準備してこれを待ち伏せよ」とある。ビザンチン章31節では、「礼拝の務めを守り、偶像信者の仲間になってはならない」とあり、悔悟章73節では「預言者よ、不信者と背信者に対し、奮闘努力し、彼らに厳しく対処せよ。彼らの住まいは地獄である」と、多神教徒や偶像崇拝者への裁きを強調している。
 雌牛章120節には、「言ってやるがいい。アッラーの導きこそ真の導きである。……アッラー以外には、あなたを守る者も助ける者もないであろう」とあり、雌牛章255節には「アッラー、彼の外に神はなく、永遠に自存される御方」とある。物語章88節には「アッラーと一緒に、他のどんな神にも祈ってはならない。彼の外には神はないのである」とある。
 信教の自由を尊重するならば、礼拝行為や断食は推奨行為に、奴隷解放は義務行為とすべきだろう。また、偶像崇拝や棄教は自由か、せめて許容行為とすべきである。(2020年8月10日付 766号)