革命40年、岐路に立つイラン

宗教で読み解く世界情勢(47)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 トランプ政権が世界にもたらした驚きの一つが「イラン核合意」からの離脱だった。中東情勢に疎い日本人の立場からは、世界平和に逆行する愚かな決定と見えたかもしれない。しかし、イラン革命政府が生まれた経緯と現在のイラン内部の権力構造を見れば、外交音痴の大統領による「愚行」として簡単に片づけることはできない。
 1979年の革命によって生まれたイラン・イスラム共和国は、その名の通り、政教一致の「神政国家」だ。その価値観や体制は、われわれ西側自由主義諸国とは大きく異なる。国民が選ぶ大統領は存在するが、軍の指揮権などはもたない単なる行政府の長だ。つまり、他の国々の「首相」職に近い存在である。最高指導者は大統領とは別に存在し、現在はハメネイ師がその立場にある。初代最高指導者は、いうまでもなく革命を指導したホメイニ師であり、イスラム法学者であることが資格の絶対条件とされている。
 問題は、その国是であるイスラム主義が「反米」を基調としていることだ。その理由は革命の経緯にある。革命以前にイランを支配していたパーレビ王朝は親米・近代主義者の政権であり、女性のヒジャブ着用禁止など反イスラム的な政策をとっていた。国外追放されていたホメイニ師が主導する革命勢力は、まさにその親米王朝を不倶戴天の敵として戦い、打倒して誕生したのである。
 革命政権最初の事件が「米大使館員人質事件」であることは象徴的だ。日本にとっての拉致問題のように、米国にとってこの事件は、革命イランへの強い警戒心をもたらすトラウマとなっている。
 一方で、現在のイランは「兵営国家」としての色彩も強く帯びている。しかも、その軍事力の中心は「国軍」ではなく、「革命防衛隊」という名の、国軍とは独立した軍事組織だ。実は、軍事面におけるこのような二重構造も、やはり79年の革命に由来している。
 理由は単純だ。ホメイニ師の革命政権は、パーレビ王朝への忠誠心を残す国軍を信頼できなかったのである。そこで、革命の理念と、その結果生まれた最高指導者を中心とするイスラム指導体制を守る、独立した軍事組織を必要としたのだ。
 問題は、そうした政治的事情で生まれた軍事組織は、やがて必然的に自己目的化し、外交を含む政治を左右する存在に変質するということである。革命防衛隊はアフマディネジャド政権時(2003~13)に政治的な絶頂期を迎え、21名の閣僚のうち、同隊の退役将校が9名と約半数を占めた。08年3月の選挙では、290議席中、同隊出身者が182議席を獲得している。
 革命防衛隊は政治力を背景として、経済分野でも巨大な存在感を誇る。石油企業を含む多数の事業体を傘下に収め、イラン経済の最低でも1割、最大で3分の1を革命防衛隊関連の事業が占めている。
 イスラム法学者と革命体制の擁護を使命とする革命防衛隊の活動は、国内における国民監視の治安活動から、国外で活動する反体制派の排除、中東諸国における反米テロ勢力への支援にまで及んでいる。
 核合意離脱の際にトランプ政権が指摘したのは、まさにこの点だった。つまり、核合意が核開発のみに焦点を当て、革命防衛隊による反イスラエル、反米テロ集団(ヒズボラ、ハマス、フーシ派など)への支援を放置していることを問題視したのだ。
 反米・反イスラエルのイスラム主義を掲げ、諸外国でのテロ活動を支援する兵営国家といえば、連想されるのはIS(イスラム国)だ。米大使館人質事件の記憶と合わせて、親イスラエルの福音派などがイランに向ける視線は非常にシビアである。このような支持層の意向は、当然、トランプ政権の対イラン強硬姿勢にも影響を与えている。
 しかしながら、イランは完全なる兵営国家ではなく、ISとは全く異なる。8000万の人口を抱える大国として、国際社会との協調も欠かせない。指導部内にはロウハニ大統領など欧米との協調路線を志向する穏健派が存在し、革命防衛隊の極端な行動をけん制している。79年の革命が残した「反米・兵営国家」からの脱皮は、イラン国内政治においても重要な課題となっているのだ。
 また、歴史的な視点で見れば、イラン革命自体が、冷戦構造のなかで開発独裁のパーレビ王朝を支持する一方、高まるイスラム主義を軽視した米国による政策の落とし子でもある。革命40年、冷戦期の負の遺産を克服し、米国とイランの歴史的和解は実現するのか。それとも決定的な破局へと至るのか。世界は固唾をのんで見守っている。
(2019年10月10日付 756号掲載)