米と共に歩む日本人

2019年10月10日付 756号

 天皇陛下は去る9月19日、皇居内の生物学研究所脇にある水田で、即位後初めての稲刈りをされた。
 鎌を手に、5月に自ら田植えをしたもち米の「マンゲツモチ」と、うるち米の「ニホンマサリ」計100株を刈り取られ、昭和4年に昭和天皇が始められた行事を、上皇陛下から継承された。
 刈り取った稲の一部は伊勢神宮に奉納されるほか、五穀豊穣を祈る2月の「祈年祭」などの宮中祭祀に使われる。
 近年は8月下旬から稲刈りが行われるが、全国的には10月がピークで、黄金色の稲穂が頭を垂れる風景に、日本の秋を感じる人も多い。

大嘗祭に供えられ
 11月14日から15日にかけて執り行われる大嘗祭は、即位された天皇が初めて迎えられる新嘗祭で、皇居・東御苑に新設された祭殿で、皇祖天照大神や天神地祇に感謝し、新穀(新米や粟)を神々に備え、国家安寧と五穀豊穣を祈られる儀式である。14日には、栃木県高根沢町から献上された「とちぎの星」を使い「悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀」が、15日には京都府南丹市からの「キヌヒカリ」で「主基(すき)殿供饌の儀」が行われる。まさに皇位継承のクライマックスである。
 國學院大學神道文化学部の岡田莊司教授は、大嘗祭について「我が国の伝統祭祀を貫く儀式で、さらに、災害への恐れと備えという日本固有の想いも込められている」と言う。大嘗祭は、稲作を中心とした日本人の暮らしの象徴であり、天皇が常に「国民とともにある」ことを示すものと言えよう。
 大嘗祭で供えられる神饌には、新米に加えて米から作られる「黒酒(くろき)」「白酒(しろき)」、さらに、奈良や京都では入手しづらい海産物や、阿波(徳島県)の麻織物「麁服(あらたえ)」と三河(愛知県)の絹織物「繪服(にぎたえ)」などの地方産品もあり、列島を挙げた儀式となっている。庶民の食べ物である粟が含まれているのは、災害への備えであろう。災害に遭っても生き残るという願いも込められているのである。
 普段食べるのがうるち米で、もちにするのがもち米。両者の違いは含まれているデンプンの違いによる。うるち米はアミロースとアミロペクチンを含むが、もち米はアミロペクチンのみ。どちらもブドウ糖のつながりだが、アミロースは一本の鎖のような、アミロペクチンは分枝の構造になっている。そのためもち米は粘りやすく、消化吸収されやすいので、食べると血糖値がすぐに上がり、幸福感に満たされる。そのため大切な行事に用いられてきたのである。それに対してうるち米は固く、保存しやすいので、財産になり、貨幣代わりに使われてきた。
 イネ科の特徴は生長点が根に近いので、刈ってもすぐに伸びる特徴がある。そのため牧草の多くもイネ科で、世界中で人類を養っている。もう一つの特徴は風に花粉を運ばせる風媒花で、多くの植物が風から虫に変えたのに、イネは古い形態を保っている。そのため、イネには虫を引き付けるような目立つ花びらはない。
 種子が熟しても地面に落ちない非脱粒性は、植物にとっては致命的な欠陥だが、人間にとっては収穫して食糧にできるので、願ってもない性質である。そうした突然変異の株を発見したのが、イネと人類の共生の始まりと言えよう。

ブランド米の開発
 日本人とゆかりの深い米だが、その消費量が減ったのは、食の西洋化、多様化による。一方、北海道産の米がおいしさから首都圏で人気を博すなど、各地でブランド米の開発が進んでいる。暖かい地方では、温暖化に負けない品種が開発されている。
 米と日本人の歴史を概観すると、米が日本人という勤勉な民族を得て繁栄してきたようにも思える。生き物には人間と同じ柔軟性があり、本来の性質を守りながら、環境に合わせて自分自身を変化させていく。これからも新品種の開発は進み、化粧品など米の食糧以外での利用も広がるであろう。
 普段、これという感慨もなく食べている米だが、大嘗祭は日本人が米のありがたさに気付き、感謝するきっかけになるかもしれない。さらに、日本人の足元を見直す期間になってほしい。