『海鳴りの底から』 堀田善衛(1918~98年)

文学でたどる日本の近現代(3)
在米文芸評論家 伊藤武司

『海鳴りの底から』は、徳川時代初期の島原の乱を民衆の目からみつめた歴史小説であり、かつ、評論である。作者の堀田善衛は、学生時代から島原の乱に大きな興味をいだいていたという。
 乱の一大拠点である原城跡は、現在国指定史跡で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産になっている。雲仙岳を中央に三方を有明海で囲まれた半島状の先端部の平地がそこで、かつて春の城といわれていた。この地方は、元来、キリシタン大名有馬晴信や小西行長の采配でキリスト教が盛んなところであった。ところが、関ヶ原の戦から38年目、太平の気分がようやくきざしてきた時期に、キリシタン領民に対する継続的な圧制と弾圧の故に発生した乱といわれている。
 もともと脆弱な土地に悪政が施行された。容赦のない年貢のとりたてが始まり、不運なことには凶作も重なった。農民の貧窮ははなはだしく、飢餓に直面していて、男ばかりか、女子供までが生命の危機にさらされた。見せしめのため蓑を着せて火をつけられたり、体を熱鉄で焼かれたり、爪をはがされ指を切断された。おぞましい残忍な拷問が待ちうけていたのである。その先にあるのは死ばかりであった。
 当初はそうした無慈悲に搾取する権力者への反感と抵抗心が民衆を寄せ集めたのである。しかし、弾圧や攻撃がかさなることで、最終的にその結束は強固な方向をたどり、かつ、宗教的色彩を強めていった。幕府に批判的な全国の浪人たちも一揆に加わった。
 糧食や銃や弾薬を蓄え、城跡にたてこもった3万7千の群れは、やがて始まる戦いにそなえて無数の空濠をほり、仮屋を建てた。旧本丸には南蛮絵師山田右衛門作(えもさく)の描いた大きな幟がひるがえった。一揆衆たちの意気の挙がる中、事態の推移を異様に醒めた心で眺めていたアウトサイダーが彼であった。右衛門作は有馬家の遺臣、この小説を通じ主人公としての役割を演じつづけている。
 天草四郎をいただく籠城軍の城跡には、十字架の白旗が何十本もなびき、次第に宗教戦争の観を呈していった。
 一方、幕府側は一揆をキリシタンによる反乱とみていた。こうして、13万に迫る圧倒的な幕府軍に対して、半年にわたる血みどろの死闘がくり広げられたのである。
 作者は討伐に関する幕府の内幕を興味深く書き下ろしている。征討使の最初の決定において上層部の思惑が錯綜した。それゆえ、執行力の乏しい中央軍の派遣となった。結局、幕府の威信をかけて、老中松平信綱が向することになるのである。
最初の選任は板倉重昌、1万2千石たらずの小身であった。幕命の下された板倉は、病み上がりの中、討伐という重責を担うはめになったのである。ある意味で、政治的駆け引きや軋轢の犠牲者であったといえる。
 当然、現地の諸藩の緊密な協力体制の足並みは乱れた。連合軍の不協和音をかかえた攻防戦は、終始籠城軍の優勢の中に事態は膠着状態を迎える。その間、一揆軍はというと、絶望的な状況が、徐々に信仰的士気も上がり天国へ凱旋する希望へと変化していった。
 著者は、一致団結した農民たちのエネルギーが、時の権力機構に対抗してどのように突出するかを逐次物語風にまとめている。ところで、作者の視線は、かならずしも一揆勢の側にたっているわけではないことを指摘しておきたい。著者の関心は、一揆衆にくわわった一人ひとりの動機や背景や意図などをひろいながら、その動静を凝視しているのである。
 読後感としていえるのは、キリストの聖旗をおしたてたキリシタンたちは、籠城の当初から、地上で生き残ることを断念していたように思える。というか、生死をかけた絶体絶命のさ中にあって、戦闘がくりかえされる度に、彼らの間に同志的連帯感が不思議にも生まれていった。すなわち、「現実の絶望が希望に転位していった」のだと著者は語る。この世における徹底した絶望が天上における至福になったとも説いている。その証拠に、城跡に侵入した幕府の隠密たちが一揆勢の明るさに驚いている。そして右衛門作の存在がある。彼は仲間たちと寝食をともにしながらも、幕府に内通し裏切りつづけた。つまり、二律背反の矛盾の行為を同時的に演ずる異色の人物が彼である。
 キリシタンたちが混乱もなく死ぬ高揚感に酔っている最中、最後の数日間に一揆衆のほとんどが虐殺されてしまっても、彼だけは生き残ろうと画策する。
 さて、籠城軍と包囲軍が対峙しているところに、幕府の要請でオランダの交易船が海上に現れ砲撃を始めた。陸と海の両方からの攻勢となったわけである。こうして小説の流れは、三者それぞれの思惑が交錯しながら進行してゆく。異国人が幕府方についたことは、キリシタンにとって一大脅威となった。キリスト教の信仰が西洋からもたらされたものだったから、彼らの驚きは大きかった。
 死ぬという一事は、城跡にたてこもった人びとにとって他人事ではないだろう。彼らにはすぐ目の前に立ちはだかる避けがたい死との切迫した状況がある。そうした苦衷に直面しても、死を恐れない様相が一揆軍にあふれた事実は印象的である。彼らの結束をもたらした要因がキリシタンの信仰であったことはいうまでもない。作者は、戦闘が繰り返された反乱軍の凄惨な生きざま、悲惨さに触れ、そして彼らの一筋の望みが、戦死によって天国へ凱旋する歓喜へと移行する様を描いてゆく。キリシタンにとって、敵と戦って死ぬことは名誉ではあっても決して屈辱ではなかったのである。
 さて『海鳴りの底から』を作成する上で、著者の意欲的な試みがなされていた。反乱を起こした人びとの心理や事態の変化を一区切りに独立させ、叙事的な評論を書きこんでいることである。それをムソルグスキーの「展覧会の絵」の作曲になぞらえて、「異様な形式での物語」を試みたと堀田善衛は説いている。すなわち、ストーリーの進行に従いエッセイをはさみこむというユニークな構成スタイルなのである。
 島原の乱は、数ある戦争の中でも「単位面積当たり、最大の虐殺数」となった未曾有の宗教戦争であったと作者は強調する。山田右衛門作一人が生き残り、あとの全員が殺戮された実際がそれを示している。
 くりかえすが、この小説の中で、右衛門作には特別な位置が与えられている。全編をとおして、特異な行動と思考をたどったのが彼で、それはつまり、傍観者的立場と、かつ、批判者としての位相であった。
 著者の考えに従えば、本物の信仰をえるためには、裏切り者が出なければならないという。キリストに対するユダのように、島原の乱における右衛門作が「問題の人」だとした。日本にキリシタン信仰が土着するためには、ユダ的人物の出現が必要だとの自論である。その真偽はともかく、いわゆる潜伏キリシタンの伝統は今日まで受け継がれている。
 一揆勢の反抗は、一個の夢のように跡形もなく終息した。静寂が潮風のなびく原城址を訪れた。あれほど凄惨な殺戮がくりかえされた城跡には、海の光と磯の香りが穏やかに拡散し、鳴音が海の底からうち響いてくるかのようである。世界宗教史上めずらしいキリシタン禁教と弾圧の政策は、欧米先進国家が非難の声を上げるまで、新生明治国家が誕生してもなお継続されたのである。