日常の中の「生への畏敬」
シュバイツァーの気づきと実践(1)
帝塚山学院大学名誉教授 川上与志夫
序論:未来からのメッセージ
昔むかし、21世紀という時代に、この地球には人間という動物が住んでいた。人間の祖先アダムとエバは知恵を与えられ、「地球上のすべてのものを支配せよ」と神に委託された。支配するとは、やさしい心で互いに支え合い、配慮し合うこと。ふたりは弱者に寄り添って生きるよう求められたのだった。
その子孫である人間は生きることに夢中になり、やがて「文明の利器」とやらをつぎつぎに生み出した。生活は楽になり、便利になった。「できないことは何もない」とうぬぼれた人間は、権力をもって地球上に君臨しはじめた。そして愚かにも、人間同士がいがみ合い、殺し合い、弱者を見捨てて、勝手気ままにふるまうようになってしまった。
勢いに乗った強者人間は、神に与えられた自然界をもぶち壊しにかかった。自分たちの家を建てるために、動物たちの家である山を削り、森の木を切り倒した。海や川は汚され、多くの魚や貝が命を脅かされた。大地は農薬や有害な廃棄物でその生命力を失い、空気すら工場や自動車の排気ガスで汚染されてしまった。
これが彼ら人間の理解する「支配(権力をもって牛耳ること)」の結果だった。「支え合い、配り合う」本来の精神は失われてしまったのだ。調和の崩れた地球上から、命の源である、きれいな空気、おいしい水、豊かな大地が失われてしまった。頂点に立ったとき、人間とその文明は足をすくわれたのだ。ひと言でいうと、人間が「心」を置いてきぼりにしてしまったからだ。これが彼らのいう20世紀、21世紀という時代のことである。
かつて人間は、何度も神から警告を受け、処罰されてきた。「ノアの箱舟」の洪水や「バベルの塔」の崩壊(創世記6─11章)は、人間に反省と再起をうながす、神の恵みの表れであった。現在の環境破壊や人間性の喪失は、「堕落したソドムの町から脱出せよ」との神からの呼びかけを無視した結果なのだ(創世記19章)。今こそ気高い人間性を取り戻し、住みやすい環境を再生しなければ、すべてが崩壊の波に呑みこまれてしまう。
過去の文明の崩壊は、地球全体から見ると局所的であった。ギリシャ、ローマ、エジプト、マヤなどの文明がそれに当たる。地球がひとつの村となった今、現代文明の崩壊は地球規模でやってくる。賢い人間ではあっても、これから逃れることはできない。未来の生き物が現代の人間を非難し、揶揄するのも当然だ。
神の警告を重く受け止め、その呼びかけに全身全霊をもって応えた人が、これから紹介するアルベルト・シュヴァイツァーである。彼の声が響いてくる。「文明の利器におどらされるな。自然界を正しく支配せよ。互いにいたわり、互いに支え合って、物質と精神の調和のとれた世界を目指すのだ」(『文化の没落と再建』に込められたシュヴァイツァーの心)。
よりよく生きようとする私たち、とくに弱者たちに寄りそって生きた、人間シュヴァイツァー。すべてのいのち、自然界のすべてと「いのちのつながり」を感得して「愛」に生きたシュヴァイツァー。ノーベル平和賞を受けた彼の思想と生涯から、人間性の気高さと実践の力強さを学びたい。次回から、具体的に彼の生涯をたどってみよう。
(2019年7月10日付 753号)