伊弉諾神宮で御田植祭を斎行

神田に早乙女と児童の祈り/兵庫県淡路市

早乙女に助けられ苗を植える児童たち

 梅雨入り前の爽やかな風の吹く6月15日、兵庫県淡路市多賀にある伊弉諾(いざなぎ)神宮(本名孝至宮司)の御斎殿で、令和で初めての五穀豊穣を祈る恒例の「御田植祭」が斎行された。稲は10月の「抜穂(ぬいぼ)祭」で収穫され、稲束を伊勢神宮の神嘗祭に奉納するほか、伊弉諾神宮の祭儀で神前にお供えされる。
 神前に供える米を育てる「御斎田」(約240平方メートル)で田植えを行ったのは、白装束に赤いたすき、笠をかぶった早乙女姿の県立淡路高校(旧淡路農業高校、同市富島)の女子生徒や同宮いざなぎ會の女性ら18人と地元の保育園児ら13人。氏子や保護者らが見守る中、本名宮司が打つ太鼓の音に合わせ、早苗を数本ずつ手に取り、丁寧に植え付けた。ちなみに早乙女の早は稲のこと。
 淡路島は近年、舌(ぜつ)を付けたままの銅鐸が発掘され話題になった。大切な神事の前、邪念を払うため鳴らされたのであろう。銅鐸は古事記で「サナキ」と記され、イザナギに通じる。本名宮司によると入れ子になった銅鐸と舌は男女の交わりを意味するという。境内に夫婦大楠のご神木がある伊弉諾宮らしい。男は小さい舌で、女性の摩訶不思議な霊力を大事にするのが日本文化だと、宮司の話は尽きない。
 同日は午前9時から神事が執り行われ、淡路神楽が舞われた後、拝殿前のしめ縄が張られた境内で、早乙女たちが苗を手に、「わかなへ うえほよ…」と神職らが歌う「古謡御田植唱」に合わせて、田に稲を植える喜びを表した「御田植踊」を奉納した。
 その後、神職と氏子がかごで担ぐ早苗を先頭に、列を組んで神宮近くの御斎田に移動。代かきが終わった御斎田で、最初に本名宮司が苗を植え、続いて早乙女が横一列に並び、目の前に張られた縄の目印を目安に、宮司の打つ太鼓の音に合わせて「イセヒカリ」の苗を植えていった。
 イセヒカリは三重県の伊勢神宮の神田で発見された、コシヒカリが自然交配して出来た突然変異種で、神聖な稲として神事などで使われている。コシヒカリより背が低く、風雨に強いという。
 苗は本名宮司が神事としてもみをまき、苗代で大切に育てられてきたもの。昔は一般的だったが、田植え機が普及した今では、農協の育苗センターなどで育てられた苗箱入りの苗を買うのが一般的になっている。
 御斎田のほぼ半分まで植えたところで法被姿の児童らが田んぼに入り、早乙女に助けられながら、苗を植えていった。
 同宮の御田植え神事は第二次世界大戦の影響で昭和15年以降途絶えていたが、古老らの記憶をもとに平成3年から再現されている。児童らはカエルやオタマジャクシを発見して歓声を上げ、見守る老婦人たちは昔の田植えを思い出し、懐かしそうに話し合っていた。
 新元号の令和について宮司に聞くと、「令は人々が神に祈りを捧げる姿の象形文字。そんな人を令夫人、令息などと呼んできた」との答え。万葉集から取られたことも高く評価し、「大宰府は外国の文化を入れるところでもあり、防ぐところでもある。そこで平和な時の訪れを祝う梅の宴を開いた時の言葉なので意味がある」と。
 淡路島は古くから海と山の産物に恵まれた島で、朝廷にも献上している。本名宮司は「だから国産みの島に選ばれた。しかも人口が増えたのは稲作文化による。縄文は海の民で、海人族は沖縄から本州沿岸まで活躍している。縄文人は単なる狩猟採集ではなく、三内丸山遺跡のように栗の栽培もし、海上交易も盛んだった。漆や螺鈿は日本から大陸に伝わっていた。日本文化の素晴らしさを再評価すべき」と意気軒昂だった。

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