ホテルニュージャパン

2018年11月10日付 745号

 奈良で泊まった宿で、元東京都消防庁の消防士で奈良出身の男性と知り合った。そこで、本紙の松下正寿初代社主が事務所を構えていたホテルニュージャパンの、一九八二年の火災の話を持ち出すと、それについて一番詳しいのは私だろうと言う。
 同ホテルの火災は裁判になり、消防庁が罪に問われる恐れが出てきたため、裁判記録をはじめ膨大な資料を保管していたのが、その心配がなくなったので、整理する責任者に彼がなったのである。消防法には危険物施設の許可取消・使用停止命令があり、同ホテルの防火設備の不備を知りながら、消防庁がその命令を出さなかったということである。
 早朝、興味深い話を聞いて宿を後にし、興福寺の境内を横切って近鉄奈良駅に向かおうとしたら、国宝館の「邂逅 志度寺縁起絵」の看板が目に入った。志度寺は天地子の近くにある四国八十八箇所霊場の八十六番札所で、藤原不比等が増築したとされる。
 藤原鎌足の没後、唐の高宗に嫁いでいた娘が追善に三つの宝物を贈ったが、その一つが志度浦で竜神に奪われてしまう。玉を取り戻すため志度に来た不比等が、妻にし子をもうけた海女にその話をすると、海女は竜宮に潜り、乳房を切って玉を隠して持ち帰り、そのまま死んでしまう。寺の境内には、その海女の墓がある。藤原氏と讃岐の海民とのかかわりを示す伝承の一つ。
 いつもながら、旅は余録が楽しい。鹿が鳴く奈良公園のハゼが赤く色づき始めていた。