師の価値を理解できず

2018年8月5、20日付 742号

 「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。」(ペトロの手紙二・1・16─19)

 イエスの弟子たちは、長く生活を共にしながらも、師の本当の価値を知らなかった。変貌山でその威光を見ながらも理解できなかった。イエスは神が愛する尊い存在、神の心を示す存在であった。もし、弟子たちの一人でもそのことに気づいていたら、十字架を担ぐイエスを見捨てただろうか。見捨てられてもなお、怨みを抱かず自らを捧げたイエスは復活された。その後初めて目覚める弟子たちだった。