米づくりと日本人

2018年7月5日付 740号

 田植えが終わった稲田では、夏に向かう太陽の光を浴びて、稲が日一日と生長し、田んぼの緑を深めている。昔に比べて農業人口が減り、産業に占める割合は小さくなったが、米づくりが日本人に与えた影響はとても大きい。
 麦などの穀物と比べても、単位面積当たりの栄養が豊富なことから、米は狭い日本列島に多くの日本人が住むことを可能にした。
 そして、もみまきから苗立て、田植えに施肥などきめ細かい取り組みと人々の共同作業が必要な水田稲作は、日本人の身体性(振る舞い)と精神形成に大きな役割を果たしてきたのである。

太陽と水の力
 作物の多くに連作障害が起きるが、稲の場合、水田が水の力でそれを防いでくれる。水を介してミネラルなどの養分が補給され、夏に温度が上昇する水田では土が殺菌されるからである。
 田植えの後、太陽熱で温度が上昇した水田では、暑さ好きの稲の苗が根を力強く伸ばしている。一般的に、田植えをしてから一週間から十日間、田んぼに水を張る。この水管理が適切だと、田植え後すぐに投入した除草剤で、雑草を抑えることができる。水が種の発芽を抑え、薬剤を全面に広げるからである。しかし、土が水面から出ていたりすると、そこから雑草が生えてきてしまう。
 その後、水を一旦落とし、田んぼにひび割れができるくらいに乾かす。これの繰り返しによって稲の分けつが促され、茎の根元から新しい茎が出てくる。それによって、田んぼはみるみる緑色を深めていく。
 古来からの日本人の信仰を伝える伊勢神宮の社殿が稲の倉庫の形をしているように、稲作は神事と政治にもかかわっていた。秋に収穫した米の一部を氏神に納め、翌春、浄められたもみを頂き、苗を育てるのである。それが信仰であり、同時に納税、つまり政治の基本となった。
 大正大学元学長の小峰彌彦さんは、そうした神信仰の上に渡来し、受容された仏教の布施の思想により、納税制度が定着したという。お金を出すことが自分の功徳を積むことになるとされ、多く収穫した人は多く奉納することでより多くの功徳があるという、生産規模に応じた納税が人々に受け入れられたことで、今日の国の基本がつくられたのである。
 日本は洪水被害の多い国だが、水田は大きな貯水池となることでそれを防ぐとともに、周りの環境を穏やかにしてきた。さらに、いろいろな生物の命を育む場所となることで、自然環境を豊かに保っている。
 日本の工業製品を世界トップクラスにした要因の一つが、高い品質を実現してきた改善活動である。きめ細かい気配りや産業用ロボットにも名前を付け、人間のように対する感性は、稲作を介して養成された自然との距離の近さがもたらしたものである。
 ある篤農家によると、農業は経済的段階から芸術的段階、そして宗教的段階へと深まっていくという。経済的というのは合理的なこと、それが洗練されると芸術的になり、最後の宗教的というのは、水を欲しがっているから水やりをするなど作物の心を読んで対応する段階である。すべての存在に仏性を認める本覚思想が日本で成立したのも、そのような自然との一体感があったからだろう。二宮尊徳の報徳思想は農業と仏教の融合から生まれ、多くの農村改革を実現した。

宗教的レベルの食と農
 命に直結している食と農は人々の暮らしの基本である。経済合理性だけでは割り切れないのが私たちの暮らしで、生き方として農を見直してみるべきではないだろうか。禅宗では、作務として農作業を好んで行い、食事を用意する典座はレベルの高い修行とされる。
 修行とは自分自身を育て成長させることで、その場として農業を見直せば、いろいろな実践が考えられる。例えば、定年後の人生に農業を選択すれば、農業の衰退を防ぎ、併せて人々の健康を増進できる。地域に開かれた人間観を持っているのが日本人で、個人の生き方で地域を守るようにすれば、霊肉ともの幸福が実現されよう。