格差の時代にマルクスは蘇るか?

宗教で読み解く世界情勢(32)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 最近、二人のカトリック高位聖職者によってなされたマルクスへの言及が対照的だと話題になった。ひとりはフランシスコ教皇だ。彼は、前教皇ベネディクト十六世の著作集に寄せた序文の中で、徹底した無神論の立場から、人間の尊厳と生命を踏み躙るに至った共産主義の誤りを鋭く指摘した。一方、ドイツのラインハルト・マルクス枢機卿は雑誌のインタビューで、自らと同名のカール・マルクスの著作に魅了されてきたと語り、カトリックの社会教義はマルクスの思想なしにはあり得ないとまで述べた。
 かつてカトリック教会には共産主義の影響を受けた「解放神学」に席巻された歴史があるが、今もなお、一部聖職者の中に、共産主義に対するシンパシーが根強く残っているようだ。しかし、共産主義の恐ろしさを知る者にとっては、マルクス枢機卿の発言は看過できるものではない。
 一九八九年のベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦の終結は、それまで高い壁の向こうに隠されていた共産主義諸国の実態を白日の下にさらした。「平等」を旗印に、それぞれの国で既存の体制を打倒したはずの共産党指導部は、例外なく汚職と腐敗にまみれ、人民を抑圧し搾取する特権階級になり果てていた。
 九七年にフランスで出版された『共産主義黒書』では、世界の共産党が殺害した人々の数は少なく見積もっても一億人とされている。これはヒトラーによるユダヤ人虐殺六百万人、第二次大戦の死者二千万人をはるかに超える数だ。共産主義に対する信仰は地に墜ち、各国の「共産党」もことごとく消滅するか、看板を付け替えた。しぶとく生き延びていたフランス共産党も、ついに昨年六月、一年以内に名称を変更すると宣言した。共産党がいまだに堂々と野党共闘の一角を占める日本は例外中の例外である。
 しかし、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と言う。例えば、米国の若者たちには共産主義への警戒心が薄れており、資本主義のもとでの格差拡大を受けて、社会主義ないしは共産主義を志向する割合が増えている。その現象の一つが、先の大統領選における社会主義者サンダースの躍進だ。昨年秋に実施された世論調査でも、米国の若者の44%が社会主義、14%が共産主義やファシズムの国に住みたいと答えており、32%がマルクスに好意的な見方をしていた。格差に苦しむ若者たちにとっては、資本主義の矛盾を厳しく告発し、資本家を蛇蝎のごとくに罵るマルクスの言説が魅力的に映るのだろう。
 ただし、舌鋒鋭い告発者が、必ずしも優れた問題解決能力を持つわけではない。共産主義も、資本主義の矛盾を告発することには優れていたかもしれないが、革命に成功した国々の末路を見れば、平等な社会の建設には全く役に立たなかった。また、共産主義の失敗をスターリンや毛沢東だけに押し付けるのは誤りである。暴力革命もテロリズムも、党の前衛による独裁も反対者の抑圧も、もともとマルクス自身の理論の中で重要な位置を占めていた。
 格差が広がり、再びマルクスの問題意識が脚光を浴びるようになった現在だからこそ、共産主義の誤りと危険性を改めて認識することには深い意義がある。その嗅覚において最も優れているのは霊的感性を磨いた宗教者であるはずだが、残念なことに、歴史を振り返れば共産主義の浸透を許した宗教組織も決して少なくない。カトリック教会における解放神学の隆盛もその一つであり、マルクス枢機卿の発言も、その残滓にほかならない。
 共産主義が世界に拡大した時期、宗教者を含む多くの知識人が、その運動を人類の希望とみなしていた。共産主義だけではない、あのヒトラーですら、その登場時にはドイツの救世主とたたえられ、積極的に支持を表明した教会指導者も少なくなかった。しかし、深い祈りの中で霊性を研ぎ澄ました本物の宗教者や知識人は、それらの運動や指導者が持つ動機、本質、方法論に潜む欺瞞や暴力性を鋭く見抜き、その危険性に早くから警鐘を鳴らしていたのである。
 不安と混沌が支配する今、様々なうねりが地球上を席巻している。果たして、欧米ポピュリズムの指導者を突き動かす動機は何だろうか? 一見、東アジアの平和と安定をもたらすように見える中国や北朝鮮の指導者を支配する行動原理は何だろうか? 激動の世界情勢の中で、真に未来を開き得る建設的な勢力はどこに存在するのか? 混沌に満ちた世界の中で、今ほど、宗教者の深い祈りと洞察が必要とされている時代はない。
(2020年5月20日付737号)